れいらさんの日記

海外でゆるく生きてます。つれづれと書いていくだけの日記

男は顔で選べ


男性諸君の“反感”を一斉に買ってしまいそうなタイトルですが
しかし頑張って最後まで読んでください。
(大丈夫 イケメン推進日記ではありません)


私はフィリピンに行ってから、随分と行動が“感覚的”になってきました。
(“理性的”でなくなったとも言い換えられます)


文明が遅れている国にいるから、原始化したわけではなく

こういう危険と隣あわせにいる国に長く住んでいると

神経が研ぎ澄まされてきて、五感以外の部分が発達してきたんだと思います

結局、自分が一番最初に感じた“勘”が、最後に一番当たることに気づいたのです。




理由は説明できないけれど
何かこの人いやだ、もしくは少しでもいやな感じがする、と思ったら
その人には絶対にちかづかないようになりました。(日本人でも同じ)


これに気づいたのは去年セブに行ったときの事です。


セブに着いたとき、タクシーで移動しようとしたところ
そのタクシードライバーにものすごく嫌悪感を覚えました。
明るくて、熱心に話しかけてくれるのに
なぜか恐ろしいほど嫌悪感を抱き、降りたくて降りたくてしょうがなかったのですが
理由もなくそんな事も出来ず、そのまま走り続けていたところ
案の定、途中でメーターを止められていて、ぐるぐる遠回りされたあげく
通常の5倍以上の値段を要求されました。
勘を信じてさっさと乗り換えるべきでした。



その後、ホテルについて外に出て、近くのマッサージ屋さんにはいったところ
マニラの倍以上の値段を要求されました。
“ふざけんなボケ!”と思い違う店を探しまわっていたんですが、結局見つからず
通りに立っていた韓国人に“どこかいいマッサージ屋さん知らないですか?”
“外国人なので吹っ掛けられてしまうんです”となんとなく話かけてみたところ

その韓国人は少しかんがえたような顔をしたあと
“よし、おれが連れてってやる”といい
そばにあった自分の車に乗るように私に指示しました。


しばらく走ると、マッサージ屋さんに着き、その韓国人は受付まで行くと
この人たちに1時間の代金で2時間分のマッサージをするようにと指示し
一番いいマッサージ師を手配してくれました。

彼は、その店のオーナーだったのです。

しかも、マッサージが終わる時間に、迎えにきてくれ
自分はレストランもやっている、味は自信があるから食べていかないか?と言いました。
もちろん御礼もこめてそこで食べる事にすると
そこでもスペシャルディスカウントをしてくれました。


このストーリーを後から思い出してみて
信じられないほどラッキーだったと思うんですが
私が最も腑に落ちない点は、ただ1つ


人一倍“疑心暗鬼”な私が

夜更けに、まったく知らない人の車に

躊躇もせず乗ってしまったことなんです。




知らない人の車に乗るなんて、そんな物騒な経験フィリピンでは一度もないし
日本だって勿論ありません。
タクシーでさえ、疑いながらビクビクしているのに
なんでその人の車に素直に車に乗り、身を任せてしまったのか。
人気のないところに連れて行かれ、乱暴されてもおかしくない
銃をつきつけられて、身包みはがされてもおかしくないのに。

私にとって国籍に関する偏見はありません。
日本とおなじく、韓国だってヤクザがたくさん流れてきています
むしろ警戒するに値します。




と、しばらく考えてみたんですが

どう考えてもひとつの回答しか思い浮かびませんでした。




わたしは

その韓国人のおっさんの顔を見て

信用に値すると踏んだのです。

嫌悪感を抱いた、タクシードライバーもそう。

私は彼らの顔をみて

信用するか、一瞬でジャッジしたのです






子供の頃、顔はみな同じです。
造形の違いはあれど、みな純粋に無垢に笑う。

しかしいつの頃からか
時間を重ねるに連れ
その人の、生き方が、態度が、心情が、性格が
すべて歴史となって顔に刻みつけられてしまう。



おそらく顔だけではないのでしょう。
雰囲気や態度、表情や目の動き、声色
細かい細かいひとつひとつの動作すべてが



私たちの“心の動き”を、“生き方”を形どる。



口ではいくらでも嘘で取り繕えますが
全身に表面化しているものを取り繕うことは絶対に出来ません



これに伴い、もうひとつ面白い事を思い出したんですが

私は、働き始めてから名刺頂くとすぐにコピーし
お会いしたときの場所や、時間、そのとき得た情報(家族構成、年齢、在比歴、目的)
をできるだけ書いておくのですが(忘れっぽいので・・。)
会った時の印象を、数行ですが、思い切り本心で書いておきます。

(例. 30代後半、頭の回転速い、が 話合わない、気難しい 等)

しかしそれらをなんとなく見返してみたら
その後にどんなに深く付き合うようになった人達も
最初に受けた印象と、ほぼ違わないことに気づいたのです。


名刺を頂いた時、最初に話した時間などは、わずか数分の場合もあったでしょう。
もしくは、直接お話せず、会話を聞いていただけかもしれません。


それでも最初に受けた印象というのは
その後会う回数を重ねても、本質に触れるほど親しくなっても、大きく変わる事なく
数分で見た目から受けた印象と同じだったという事です。



やはり、自分の生き方、性格などは
いくら表面上取り繕うとしても隠し切れるものではないことがわかります。




私は33歳になりました

おそらく私が他人へ与える印象も、

既にわたしのすべてを表していると思います。

誰にも自分を隠す事は出来ない。

透明な洋服を着ているように

みなに見透かされてしまうでしょう。

私を形どる、顔、声、目の色、行動、すべてが、私のすべてです。




心を美しくしなければならない




化粧品や洋服で美しく取り繕う事、営業トークの磨きをかける事、勉強なども大切ではありますが

そんなもので人の信用は得られない

人は思っているより馬鹿じゃない。

友達だって、お客様だって、これから会う人誰だって

私の今までの生き方や歴史をみて信用し、身をあずけてくれる

世の中は複雑なようで

とてもシンプルに出来ている。

基本的なこと、一番大切なこと

忘れてはいけない