考えるひと
人々は、自分の思考を隠し通せるものだと思い込んでいる。
しかし、それはまず表情や、行動、習慣として速やかに現れ、
続いて環境として現れていく。
つまり今生きている人生と、他人が受ける私の印象が
私そのものだということです
環境の不遇を嘆くということは、自分自身に失望していることにしかなりません
嫌な人が多いなあ と思うときは、自分も嫌な人間であることのほうが多い
周りにつまらない友達しかいなければ、自分もつまらない人間だと思うしかない
ひどい男しか寄ってこなければ、自分もそれなりの女性だということになります
これも幸か不幸か、私は感受性が強いほうで、初めて会って、その人と話をする前に、
『すごく好きなる人のタイプ』と、『絶対にいつか敵に回るタイプ』だけは見分がつきます。
この2つの予想は、外すことはなく
きっと、本能的に行動や表情や相手の癖などから人間性を瞬時に統計と照らし合わせて
必要あらば回避しているのだ思います
(どう転んでもこの2つのタイプは自分に危険だからだと思う)
他人に与える第一印象は80%以上その後も変わらないとも聞きます。
私は、どんな第一印象を他人に与えているだろうか?
わたしの思考が、見た目、行動を通して溢れ出し
溢れ出した自分が同じレベルの他人を引き寄せ、さらに具体化された世間を形成し
周りから、刺激を受け、影響され、環境を変え、生き方を作り、人生を作る。
考えることはいい事なのだと思いました。
考えていなければ、思考は曖昧なまま、環境を作り出せることなく
与えられた環境に引きづられ、そうやって自分と向き合わずに生きてしまえば
まわりには、やっぱり何となく流されつつ人生を生きていて
不満や不遇を嘆く人しか集まってこないような気がします
☆