れいらさんの日記

海外でゆるく生きてます。つれづれと書いていくだけの日記

ベクトル

ひとつね、またびっくりした発見があったんです。

わたし、今までの人生、

ひったすらマスカラ塗って塗って、重ね塗りして

長く長く

まつげをどこまでも長く。

を信条に生きてきたんですけど





わたし、





マスカラ塗らないほうが可愛いって事にきづいたんです。 





びっくりでしょ? 


今まで信じてたことが180度ひっくりかえっちゃうって!


化粧を始めたのが18歳だとして、


15年間も信じてきた事が間違いだったなんて!








でもねーこれって、はじめから塗らないほうが可愛かったんじゃなくて、


ある一点を超えてから、塗らないほうが可愛いと思うようになってきたんじゃないかと思うんです、






これを書くと、もう自分が若くないんだなーって実感するから、書こうかまよったんですけど






若いとき、10代の頃はもう早く大人になりたくて仕方なかった。

大人っぽい格好して、大人っぽい化粧して

大人に近づきたくて、大人っぽく見せる工夫を、無意識にずーっと重ねてきていたと思うんです。

まつげが長いのが大人っぽいのかわからないですが、多分、そう見えたんだと思います。




話の内容も、昔は、わざと難しい話をしたり、知ったかぶったり、大人っぽいしゃべり方をしたり


なんかすっごい“力”入って生きてました。






今は、自分に自信があるのか、諦めたのかなんなのか、無理に自分を飾ったりしない。


難しい話もつまんないからしないし、友達とは馬鹿なことばっかりしてる。


甘えたりも、泣き言いったりもするし、怒ったり、泣いたり







これじゃいけないかもしれないけど、昔よりはるかに正直に生きてます

若い頃のが大人っぽくて、今のほうが幼稚ぽいってなんか変なんですけど





ある時期を越えて、私は年齢的にも精神的にも“大人”になってしまった。

その境はいつかわからないけれど、

もう大人ぶったりする行為が、不必要で、不自然になってしまってきているんです

マスカラは塗らなと間抜けっぽいけど、今の私には似合うんです。





これを自覚したという事は、わたしが完全に大人になった証拠ともいえます。















これに気づいて、ちょっと悲しくなったんですが




でも気づいただけ偉い




だって、若いときの意識のベクトルのまま、ずーっと年とってきちゃってるなこの人・・・

っていう痛い人いっぱいいませんか?



いい年してミニスカートはいたり、バブル時期の面影たっぷりの、前髪だったり、化粧だったり、

ぶりぶりだったり、キラキラつけたり

男の人もいるよね。

おじさんなのに金髪だったり、昔流行った変なサングラスかけちゃったり





自分のベクトルと、一般的なベクトルの方向性が合っていないと、やっぱりなんか あれ?っておもわれちゃう

バランス感覚がないっていう事は、日本では社会性が問われてしまうから。





人間、年を重ねていくにつれて、足していくだけではなく、引いていく事も大切なんです。


足す事と引く事のバランス














うーーー、 でも難しいですよね、なんにしろ引き際って。 











これとはまた別の話なんですけど



“ある経点を越えると、ベクトルが逆になる”っていうつながりで話すと




親の事もそう思うんです。


昔は両親がうっとうしくて、うるさくてもう本当に嫌だった。

特にお父さんには反発ばっかりして、喧嘩ばっかりでした。





でも、ある時期から、急に両親が大事になり、感謝し、愛しく思うようになりました。





これも、気づいた時、少し悲しかったんですが




自分の生命力がある時期を起点に、両親を超えてしまっていたんです。




視野も、行動力も 気力も





この起点から境に私は両親がすごく愛しくなった。



お父さんだって、もうすぐ60歳


パソコンや最新機器についていけず、外国で働いたりする私に比べたら、行動力も体力も劣る

父も私を頼るようになってきた。 

いつか子は親を超える。守られていた存在から守る存在に成る

でもその経点を超えてしまった事が

両親の老いを感じさせ、非常にさみしくも思います