れいらさんの日記

海外でゆるく生きてます。つれづれと書いていくだけの日記

国民性のつくり方

先日、日韓の国民性の違いについて考えてみたけれど

今日は“国民性の作られ方”について考えてみた。


☆当たり前の事だが、国民性は“その国の教育”によって作られる。


生まれた瞬間から日本人らしい子供はいない。
私は日本の教育しか受けていないけれど、確かに日本では小さい頃から
授業中、静かに黙って聞くことを殊更に強要される。

協調性を何よりも重要視し、他人と違うことをすればすぐに怒られる。
一糸乱れぬよう、時間を厳守するよう、叩き込まれる。

こういう教育を受け、国はどういう大人に育って欲しかったかというと
軍人である。
小さい国でありながらも戦争にそこそこ勝って行けたのは
徹底して勤勉、無言を一括管理され教育されてきたからだろう。

戦後もその教育は、その性質を受け継ぎ、そうして育った子供たちは
企業戦士として使われた。
一糸乱れぬ協調性で、一丸となり、期日を厳守しながら、無言で頑張る。
コツコツと無言で物を一生懸命つくる作業にも向いているだろう
“国“側からして見れば、成功したといえる国民教育だと言える。

ただ、勤勉で協調性がある、適度に知識ある人間を大量育成するシステムでは
“考える力”や“自立性”“リーダーシップ力”などは育たない。

部活などのスポーツでも、根性論による“忍耐力”や“協調性”ばかり強化される。
生徒会など積極的に動いたほうであろう私でさえ、リーダーシップ力など皆無に等しい。



変わって、韓国はどうだろう。
まだ娘の就学前であるため、ある程度の想像でしかないが
前回の日記を踏まえて考えれば
時間厳守や勤勉に加え、“競争力”を小さい頃から鍛えられるのだろう。

常に他者と比較し、人よりも前にいく、負けてはいけない。
これが日本の教育よりも前面に強く出ているのかもしれない。

公園で遊んでいる子供などを見ても
おもちゃを奪い合って、喧嘩していても親は決して止めない。
日本だったら、仲良くね、とか、交代でね、とか協調性を強いているが
韓国は奪われて泣いたら、取り返すように親も説いているのを何度か見かけた。
一見つらそうな教育に見えるけれど、仕事で成功するのにはこういう教育が必要である。



比べどころはあとフィリピンしかないのだけれど
フィリピンは規律がゆるい。暑い国柄か、すべてが ゆるゆるで動いている。
恐らく学校ではのんびり、ゆっくり心を穏やかにすごすような教育が行われていると思う。

前会社のフィリピン人副社長、国連の職でワシントンに転勤した男友達
フィリピン大学卒業・TOEIC満点の女友達。
こういうまぐれ的に超優秀な友人は存在するが、

80%がカトリックであることから、勤勉や協調性・競争よりも
他者への“思いやり”“感謝”などを重視した教育だとおもう。
痛かったら休む、つらかったら休む。
いい加減な仕事や、進まない、合理的でない社会にイライラさせられっぱなしだったけれど
思い返せば、皆に優しくされて幸せだった思い出しかない。
経済発展におもいやりは必要ないけれど、フィリピンの幸せ指数は世界一だ。


あとの国はよく知らないけれど、自己主張の強い人が多く、発明品が多いアメリカでは、議論して人に勝つことや、“独創性”が小さい頃から褒められるかもしれない。
議論やプレゼンではアメリカ人に勝てる気がしない。
言語も英語は論理的だ。
日本語を直訳した英語では何をいっているかわからないだろう。
日本語は角がたたないように、やわらかく丸めすぎて議論向きではないのだ。


今はまだ三カ国しかしらないけれど、こうやって各国の“国策による国民性の育て方”を見てどんな子供に育って欲しいか、育児する場所を選ぶのもおもしろいかもしれない。
もしくは留学などさせて送ってみてもいいかもしれない。

私と旦那は、善くも悪しくも 少しフィリピン的な国民性が入ってしまった。

彼は競争を降りることで、他者を思いやる余裕が生まれた。
私には協調性がなくなって自分のペースで勝手に生きることで使える時間が増えた。
二人とも“感謝”を教えてもらったので、足りないものばかりだけど幸せだ。
これはほんとにフィリピンで教育を受けてみてよかった。


娘はどんな人間に育つだろう。

教育ママにはなれないけれど
本人がなりたい自分になれるような教育を受けれるよう
選択は手伝ってあげたい。