れいらさんの日記

海外でゆるく生きてます。つれづれと書いていくだけの日記

私たちの国という韓国

<私たちの国という韓国>

韓国人は、自分たちの国のことを<私たちの国>という。
(韓国語では“ウリナラ” ウリ(私たちの)ナラ(国))



日本や、他の国では、会話で自国の話しをするときも
“日本は・・”“アメリカは”と話すので
最初は違和感を覚えたけれど
これが違和感だけではなく、この国の歴史や文化の象徴であるということは後で気づいた。



韓国は国だけでなく、いろんなものにウリをつける。
私たちの学校、私たちの家族、私たちのお父さん、私たちの先生・・・・・

私の中で“ウリ(私たちの)”というのは、
手をつないで“円”をつくっているイメージだ。
一見、団結力があって、良さそうなイメージだけれども、ちょっと違う



ウリというのは、排他的な言葉だ。


私たちの学校、私たちの家族、私たちの国。
そういう主語を使う事で、身内意識や、愛校心、愛国心は強くなるかもしれないが
その“円”の中に入れない人達というのは、ものすごくさみしい思いをする。



私だって、いつまでたっても、韓国人のお母さんになっても
“韓国”の事を“ウリナラ(私たちの国)”とは言えないだろう。
(だって私の生まれ育った国じゃないから・・・)


手をつないで円を作るというよりも、円を作って線を引く事により
異端なものを排除するのだ。
でもそれにも多分、理由があって、(感じたことだけで推測で書いているが)
もともと、韓国はその位置上、中国や日本から侵略され続けた歴史があって、
恐らく、そうやって民族で強固に固まらないと“国“がなくなってしまう危機から来ているのだろう。





なので、国際結婚とかのハードルも他の国に比べて異様に高い。
“われらが国の血を薄めて、他国の血を入れる“というのは
特に年齢が高い方々は、やっぱり少し許しがたく感じているように見える。




あるとき韓国人の友人が、
“私たち韓国人は、韓国で生まれ育った、韓国人同士の両親の韓国人しか、韓国人として認めてない”
といっていた。大分正直な意見だと思う。




留学歴もあり、グローバルな視点を持つ韓国人でさえ、こういう認識であるならば
韓国から一歩もでたことない韓国人はもっとそうだろう。





韓国は人口も少なく、国内需要も頭打ちの状態なので、企業は海外への輸出がメインだ。
最近は工場も海外にどんどん移し、雇用の際の英語需要から、学生の留学も盛んだ。

私たち夫婦のように、海外で勉強したり、働いているときに
外国人と出会い結婚に至るカップルもこれからは増えていくだろう、




しかし、いつまでも、多様な文化や異質な人達を受け入れずに
血の団結を大事にしては、グローバルな 経済状況と教育との歪みが出てくる。



今、私の旦那さんはまさに、これから始まる韓国の“多文化社会“に順応できる
韓国人の凝り固まった民族意識を“グローバル化“する教育を大学院で研究している。




これが正しいのかどうかはわからない。


ただ絶対に必要にはなってきている。
単純労働はどんどん途上国の移民に置き換わっているし
農村部には、貧しい国からどんどんお嫁さんがやって来る。

そういった、移民を積極的に受け入れる政策に対し、国民の心は閉じていると
排他された、外国人世帯の子供は韓国に対して反発を持っていくだろう。
韓国籍はあるが、愛国心のない子供たちが大人になり、勢力を持ち出してからでは困る。




仮に統一が成しえたとしても北朝鮮人と共存できるとは到底思えない。


そして在日、在米や在露、在中、その他、各国に増え続ける同砲韓国人とも反発がうまれてしまうだろう。


韓国は早急に変わらなければならない。


楽しみである