学歴が人格を作る
学歴が人格をつくる。
極論すぎて大反論がきそう笑
私も主人も結構学歴偏重主義かもしれません。
特に主人は教育関係者なので顕著なんですが、ここ韓国では学歴がないと一生苦労するのが目にみえているので
自分も子供に酷使を強いるのはつらいけれどそれででも人生の今だけの苦労だとおもい
心を痛めながら鞭をふるっている。
そんな主人は弁護士や医者、大企業勤務のお金持ちが多い地区の子供に教えるのを好む。
遺伝子レベルで才能があるという理由ではなく、親が学歴がある子供のほうが教えやすいそうだ。
一定の努力水準を超えた大人は、勉強ができないことは
”本人の努力が足りない事”
というあまりにもシンプルな事を理解できている。
子供にもあたりまえのようにそう接している。
なんでうちの子はこんなにできないんですか?とか弱点を教えてくれとか。試験対策をしてくれ、あの先生はよくないとか
できない親はとにかく要求と不満が多いそう。
ある程度やれば、どこが弱いか、自分に必要な勉強はなにか自分がよくわかっているはず。それを”できない親”は先生のせいにする。そうです…
できる親は、自分自身の努力でなんとかした実績があるので
”先生が一生懸命おしえてくださってるのになぜ試験ができなかったんだ?”
と根本的な原因を探ろうとなるそうです。
そらそうだよね、リコーダーがうまくならないのを先生のせいにする親はあまりきかない。音楽だったら練習が足りないからだとすぐおもうのに、お勉強だとなぜ先生のせいにするのか
なんとなく、わかる。
できない親は不安なんだ。子供を信じることができない。
自分の不安を満たすために、子供を塾に送りまくり、あれが足りないのか、何が足りないのか焦りまくる。
やっぱりできる親は心の余裕が違う。外的な要因に原因を考えない。
小さい努力を積み重ねる事、本人に目標ややる気があれば、時間をかけても目標が達成できることを知っている
うちはお金持ちではないけど、やっぱり心にある程度のスペースはもっていたい。
専業主婦で享楽的に生きようとおもえばいくらでも生きられるんだけど
なんとなくあっち側の崖には落ちたくない。
落ちたらどこまでもまた落ちていき、人をねたみうらやみ不満や愚痴ばかりの生活になり人にもやさしくできなくなりそうだから・・・
自分自身を信じることができれば、子供を信じることができる。
それがいつも細々でも勉強を続ける理由
勉強する事は、人にやさしくなる事