れいらさんの日記

海外でゆるく生きてます。つれづれと書いていくだけの日記

一つになりたい韓国人と、一人になりたい日本人

毎日何かを吐き出さないと生きていけない。
書いているだけで自分の心のモヤモヤが晴れていく気がする。


多分ね~・・鬱ボーダーなんだと思います・・。有名な森田療法ですね・・。
(精神的に落ち込み気味の方は、「森田療法・日記」で検索されてみてください)


一つになりたい韓国人と、一人になりたい日本人
前回の宣言通り、これで書こう。

韓国にはご存じの通り『ウリ』という言葉がある。文字通りに読むと『私たち』という意味だ。
でも、これは英語のOurとは違う。
英語でのOurは、呼び方だけれども韓国語の『私たち』はもっと精神的な結びつきの意味合いが強い。

ウリ「私たち」と呼ばれたら、がっしりと手をつなぎあうイメージ。
それは教室や学校、国など単位大きさは関係ない。

ウリに入ってしまうとコミュニティ維持のための精神的、物理的な協力・犠牲を無意識に強要され、役割を分担される。


ウリの中には自他の境界線があまりなくて、ウリの中では助け合うこと前提。
なぜならウリは“ひとつ“だから。

 

外国人から見るとウリというのは手をつなぎあった大きな円に見える。

ここは大陸の端っこ。陸続きに中国・ロシア。
背路は海といえ、日本は敵でいつでも海路で攻め込まれる。


ずっと領地争いだったので、おそらく国民の精神的な結びつきが必要であり、発達しているのかもしれない。


我々は一つになり、国を守るんだという意識が国民の文化にも染みわたっています。


これは非常にいい国の文化であるといえるけれど、私は嫌な側面も見える。


ウリは排他的な言葉だ。


ウリ=仲間。だとするとウリ以外の人は仲間ではないという裏返しになる。

私は街で世間話するとよく聞かれる。

ウリナラ サラミアニエヨ? (私たちの国の人ではないですか?)

相手は外国人ですか?っていう軽い気持で使っていると思っているけれど、もう10年も住んで、韓国人の妻で韓国人の親なのに、いつになったら韓国のことをウリナラ(私の国)って呼んでいいんだろう。


いつもちょっと寂しい。

でもいい側面もあって、ウリに入ると何も気兼ねするなという部分がある。
(ウリ家族・ウリ教会・ウリクラス・ウリチーム・単位はなんでもいい)

連絡しなくても会いたいときに尋ねていいし、負担をかけても気兼ねない。
助け合うという共助が自然に働く。お金も境界線があまりない


おごったりおごられたりも当然で、ある人や年上が払う。

日本よりは人間関係に緊張が少ないかもしれない。

迷惑をかけても怒られない。
韓国人はウリを使いたがる。境界線をなくしたがる。精神的に一つになりたがる

 

 


日本はプライベートゾーンが人によって違うから人と付き合うのも緊張してしまう。
どこまで踏み込んでいいのか、恐る恐るだし、空気よまなきゃいけないし、本音と建て前も読み分けなきゃいけないし。


もうすこしはっきりルールを教えてくれたらいいのになあと思う。


『電話やめて連絡はLINEにして』とか『突然の誘いはやめて』とかもっと人ごとにはっきり教えてくれたらいいのになあと思う。

最近日本人は何考えてるかわからなくて付き合いずらい。

私はたぶんHSPってやつで、人の表情に敏感で、何を感じたのか何を考えてるのか、人よりもわかる。

あきらかに思ったことと違う事を話してる人がいて、情報の整理に混乱をしてしまって

人に会うとすごく疲れる。

私は何人になってしまったんだろう。ウリに入るのもやだし、日本人も面倒くさい。
韓国人でも日本人でもない。

 

 

 


ああ、山ごもりして仙人になりたい。。

韓国で生きてるだけで疲れる

生きてるだけで疲れる。

 

長い海外生活で、大体ほとんどの事は“流せる”ようになってきたけれど、やはり自分の体の一部にしみついてしまった文化や常識を覆すのは難しい。

 

「食生活」はわかりやすいけれど、それは諦めてこちらに来ているのもあるし、家でもある程度作れるので、実際には何とかなっている。

 

割と見逃しがちなのが、生命にの危機に関する文化の違い・・

特に「自転車のベル」や、「自動車のクラクション」が来た当時は本当にストレスだった。

日本では、本気で危ない時にしか鳴らさないので、鳴った時の心臓の負担がものすごい。

韓国では結構、軽い気持ちで鳴らしている。一回一回、心臓壊れそうなんだよ。。

 

 

もう一つは、高速道路での車間距離と車のスピード

日本では前の車が急ブレーキを踏んでも高速でも止まれる車間距離を徹底的に体に叩き込まれるけれど、韓国はものすごく車間距離が近い。前の車がブレーキを踏んだとしたら、即死だと思う。

車線変更も頻繁でカーチェイスの用に走る車も多い。また全体的にスピードが速いく120キロ台で走るので、90キロなどでは、流れに乗れずにあおられ続ける。

もう心臓がどきどきして、頭では慣れていても、どうしても体が慣れない。

 

人との関係性の距離も慣れてもつらい。

頻繁な電話やテキスト、突然の訪問、約束や時間を守るという感覚の違い、開放的すぎる家の作り、ノックの有無。

日韓は人と人とのディスタンスが壊滅的に違う。

韓国は自他の境界線がほとんどないとおもう。
客観的にはとてもいい文化だと思うけれど、日本人はパーソナルスペースに踏み込まれると強い不快感が生まれる。この辺は本当に新婚さんは苦労するだろうな~・・
分かり合うというのは無理だから、違いを違いのまま受け入れたらいいんだけど、なんか受け入れきれないのが残っちゃって、結果,私が我慢するで落ち着くんだよね。何事も。。自分の大事な何かがめに見えない速さで削られているような気がしてならない。


「一つになりたい韓国人と、一人になりたい日本人」

あ、なんかこういう題名の本とかこれで一冊書けそう・・。

次回のブログの題名きまったわ~。。

 

生きてるだけで疲れる。ライフが減っていく・・。力が奪われる。

さ、寝るよ。。

資本主義として末期の韓国

日本の金融機関が一気にIT化を始めたら、いきなり何万人も失業してしまうでしょう。

銀行はAIの活用で、ものすごいリストラ準備を始めている気がする。

AIに仕事を奪われるというと、窓口や非正規が行っている計算や入力などを思い浮かべるとおもうけれど、実際には違う。

融資の審査や決済などを行っていた、ホワイトカラーでも非常に上のレベルの方の仕事がなくなってしまいます。

韓国は容赦ありません・・。
来る少子化に備えているのかもしれないけれど、、一気にITを加速し、真ん中くらいのホワイトカラーの仕事は根こそぎ無くなっています。

ブルーカラーの仕事は外国人労働者や、元気な高齢者との取り合いで、若年層→中年層の仕事の椅子は少なくなっている。

外国人や高齢者は安い給料でもすごくよく働いてくれるので、向上心や子供の教育費を抱える世代にに仕事の椅子は回ってこないでしょう。

外国人は母国ではもっと安い労働力で働かされるので、多少韓国内では安いキツイ労働であっても、我慢して耐え、短期でガボッと稼いで母国へ持ち帰る。

高齢者は、不動産.年金.子供からの仕送りなど、他にも収入ツールがある場合があり、有り余った時間で、雇ってもらえるだけでもありがたい、そして辞めない。



結果、若年層・中年層のカフェやチキン屋など地味な起業が流行ってます。
割と高学歴な人も多い。


資本論では高度に進化した資本主義社会の崩壊後に理想の社会主義国家ができると書いてあります。資本主義社会の崩壊とそれに代わる社会主義社会の成立の必然性(必要性)を主張することにあったと言えるでしょう。


 韓国大っぴらには誰もそういいませんし望んでいませんが、(隣とその隣に飲み込まれたくないので共産主義への生理的拒否反応がもんすごい・・)大きくはそういう流れに行かざるを得ない気がしています。



資本主義としては、末期の症状を体現している国家だと思います。



搾取されている若者の不公平感がいつか爆発してしまいそうで怖いです。