れいらさんの日記

海外でゆるく生きてます。つれづれと書いていくだけの日記

ふりかえり☆(今年&人生)

世の中の現実は、

私の想像をはるかに超える複雑さで

私は30歳になるまで、親戚、学校、部活、会社、友人、などの“世間”と呼ばれる

多岐にわたる人間関係のコミュニティの中で要求される、ソツない対応と

学校や会社、国なる 組織という“体制”へ順応する為だけに生き




きちんと、自分の人生を生きる事をしていなかったような気がします。





“もしも今までの私の人生がすべて間違いだったとしたら”


昔のわたしには到底考えられなかったけど、

最近は少しそう思うときがあります






私は、私の人生を

“人に見栄を張る”ためだけに生きいていいのか

お金持ちの彼や、格好いい友達、高価なレストランや、高級なバック
最新の美容院、お洒落なパーティは

こういうものは、わたしが本当に望んでいるものなのか。

物は本当に貯めるほど必要だろうか。


フィリピンへ行く前わたしは、何がほんとにしたい事だか、欲しい物だか
何だかよく分からなくなっていました。



学校を休まない事、勉強を頑張る事、親の期待に答えること、いい点を取る事
人の信頼を裏切らない事、いい人と思われる事、いい会社で働くこと、
みんなに好かれる事


こういうものも、一切合切しっかり守ろうと、一生懸命生きてきたけど



全部が偽物だったんじゃないかと、感じる事があります。







興味を持って、勉強したいと思ったことも

普通と言われる道と合わなければ

枠からはみ出そうとしなかった。


でも、本当は、そういう時、私が何か感じたことだけが本物で

それ以外は本当に必要ではなかったんではないかと感じています。




フィリピンに行ったのは本当によかったと思います。



私は“自分の人生を自分で選択できるかどうか?”という不安や恐怖から自由になりました。

マスコミの価値観に、踊らされることもなくなった。 

自立したんだと思います。

自立というのは、自分の行動に責任を取る事。



自立することが出来た、今の私の人生が退屈だとしたら

私は自分の人生を自分なりに充実して過ごす能力がないということです。




これからは、親のせいにも、国のせいにも、友達のせいにも、仕事のせいにもできない




人生の別れ道があるときに、私は、いつも人の足跡が多い道を選んだり

人の指示に従ったりして、



自分の思う場所と違う場所についてしまったことが何度もあります。





最近は




自分の行き先はわからなくてもいいと思える




自分の道を歩いているのだから