れいらさんの日記

海外でゆるく生きてます。つれづれと書いていくだけの日記

私の知らない世界

親になってわかったこと

“親が子を愛する“という行為。
自分が親になるまで、想像はできたし、そういう知識もあった。
でも私は娘が生まれてから、世界感が変わった。
世界は今まで私が見ていた事実よりもっと深かった。


■例えば、“命を頂く”ということ。

子羊や子牛、ひな鳥のお肉は柔らかく、みな好む。

でも私自身、毎日毎日
寝る間もなく、命を削りながら子供におっぱいをあげて
大切に大切に、少しずつ大きく育ててきた自分の子の体が
切り刻んで誰かに食べられるなんて想像しただけで吐きそうだ。

食物連鎖上、私だって何らかの命を頂かなければ生きていけないが
そんな母親の思いと愛がいっぱい詰まった命を頂くという行為は


もっと神聖で感謝が伴わなければならない。


私はソースがまずいと言うような理由でステーキを食べずに残したこともあった。

わたしは今まで随分と“暴虐”に“軽薄”に命を頂いていたと思う。

日本語の“いただきます”という言葉
昔の人は、命を頂くということに、もっと感謝と敬意を払っていたに違いないと思う。




もうひとつは

■親の愛情の深さと持続 である


例えば、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんのご両親をみて


私は今まで、このご夫妻が30年以上も昔に居なくなった娘に、どうしてここまで諦めずに必死で、手綱を緩めることなく頑張れるのだろうかと、少し疑問だった。
居なくなった当初はパニックで頑張っただろう。
でも時がたち続け、一緒にいた15年間の2倍もの年月がすぎ、記憶も風化していく中
事実かはさておき、めぐみさんも、結婚されお子さんもいらっしゃるという事を知り
もしかしたら幸せに暮らしているのかもしれない。
そう思って、どこかで諦めようとはしなかったのだろうか。
どうしてそこまでの情熱を持ち続け、高齢の体を引きずり
毎日、毎日、街頭でチラシをくばり続け頑張っていられるのだろうと
親になる前のわたしには少し疑問だった。

でも、今は少しだけわかる。

例えまだ6ヶ月しか一緒にすごしていないわが子でも
もしある日、北朝鮮に拉致されて居なくなったとしたら


わたしは安心して眠れる日なんて

この先一日もこないだろう。



お腹すかせて泣いていないか、どこか痛くなってないか

“お母さん、お母さん”って

寂しくて、怖くて、泣いているんじゃないかと思ったら


娘をこの手にもう一度抱きしめるまで
何十年たってもゆっくりと眠れることなんてないだろう。

めぐみさんは言葉も分からない国に、ある日突然拉致され
想像を絶する苦労をされてきた事とおもう。
が、残されているご両親もお気の毒でならない。

死んでしまったなら心の整理もつくかもしれないが
どこかで生きていて
もしかしたら苦しんでるかもしれない娘を、思い続ける30年なんてつらすぎる。



こういうひとつひとつの事件や事故
親になるまで気づけなかった愛という深さを持って見回すと
身の回りすべてに起こるできことが、
悲しさと苦しさと愛おしさで


世界が倍になる。