れいらさんの日記

海外でゆるく生きてます。つれづれと書いていくだけの日記

望まない生活?

毎日ブログを書こうと思ったけど、やっぱり毎日こどもがいると難しい。

今、学校はは週2回、2時間だけしかいかないので、ほぼ毎日ずっと一緒にいる。
娘とのこんな時間も長い人生においてもうないかもしれないと、前向きに考えようとしているけれど、自分の時間がないのはじわじわと辛い。

何が辛いのかもよくわからなくなっている。主人は優しいし、娘はかわいい。
辛いのはただの自分のわがままのような気がしてくる。

けれど、自己肯定感が下がっているのが一番つらいんだと思う。

朝おきて、朝飯作って、掃除して、洗濯して、勉強させて宿題させて、昼飯作って、片付けて、スーパー行って夕飯作ったら1日終わってしまう。何者でもなく、だれにも感謝されない。こんな生活がもう何か月も続いていている。

子供ができてからは基本こんな生活だけど、勉強したり、友達にあったり、日々の喜びみたいなものは少しだけあった。今は何の楽しみも見つけられない。

自分が社会と断絶されている気がして、それが一番つらい。


主人がらやましくもある。大変な事はたくさんあるだろうけど、充実感や喜びもあるだろうし。

 

がんばらなきゃ、しっかりしなきゃ、楽しみをみつけなきゃ、幸せにならなきゃ

思えば思うほど苦しくなる。

 

でも、また私は自分を追い込んでいないだろうか。重要な何かになろうとしすぎてるんだろうか。すごい人と思われたい欲求に負けているだけではないだろうか。

本当にやりたいことって今ちゃんとできているんではなだろうか?


私は娘にさみしい思いを一切させず、思い切り甘やかして育てたかった。


結果的にいままで仕事に踏み切れずにいたのは、そこのラインを自分超えれなかっただけだ。いつも環境や主人の協力のせいにしていたけれど、自分が自分で課したラインを自分で超えれなかっただけだ。

思えば、私はいつも自分で作った自分のルールを破れずにいる。
ゲームを与えない事、YouTubeは時間をきめること。子供のまえでしないこと、小さいことだけれど、自分の中の無数の子育て決め事があって、それがじわじわと子育てを辛くしてきている。


コロナを機にもうすこし自分を見直さなくては。

私は何がしたくて、どんな生活がしたかったのか。

よく考えたら、娘の成長と向き合える今の生活は本当に幸せだ

お互いにストレスをためてイライラせず、仲良くコロナを乗り切りたい


学歴が人格を作る

学歴が人格をつくる。

極論すぎて大反論がきそう笑

私も主人も結構学歴偏重主義かもしれません。
特に主人は教育関係者なので顕著なんですが、ここ韓国では学歴がないと一生苦労するのが目にみえているので
自分も子供に酷使を強いるのはつらいけれどそれででも人生の今だけの苦労だとおもい

心を痛めながら鞭をふるっている。

そんな主人は弁護士や医者、大企業勤務のお金持ちが多い地区の子供に教えるのを好む。

遺伝子レベルで才能があるという理由ではなく、親が学歴がある子供のほうが教えやすいそうだ。

一定の努力水準を超えた大人は、勉強ができないことは
”本人の努力が足りない事”
というあまりにもシンプルな事を理解できている。
子供にもあたりまえのようにそう接している。

なんでうちの子はこんなにできないんですか?とか弱点を教えてくれとか。試験対策をしてくれ、あの先生はよくないとか


できない親はとにかく要求と不満が多いそう。

ある程度やれば、どこが弱いか、自分に必要な勉強はなにか自分がよくわかっているはず。それを”できない親”は先生のせいにする。そうです…

できる親は、自分自身の努力でなんとかした実績があるので
”先生が一生懸命おしえてくださってるのになぜ試験ができなかったんだ?”
と根本的な原因を探ろうとなるそうです。

そらそうだよね、リコーダーがうまくならないのを先生のせいにする親はあまりきかない。音楽だったら練習が足りないからだとすぐおもうのに、お勉強だとなぜ先生のせいにするのか

なんとなく、わかる。
できない親は不安なんだ。子供を信じることができない。
自分の不安を満たすために、子供を塾に送りまくり、あれが足りないのか、何が足りないのか焦りまくる。
やっぱりできる親は心の余裕が違う。外的な要因に原因を考えない。
小さい努力を積み重ねる事、本人に目標ややる気があれば、時間をかけても目標が達成できることを知っている


うちはお金持ちではないけど、やっぱり心にある程度のスペースはもっていたい。
専業主婦で享楽的に生きようとおもえばいくらでも生きられるんだけど
なんとなくあっち側の崖には落ちたくない。
落ちたらどこまでもまた落ちていき、人をねたみうらやみ不満や愚痴ばかりの生活になり人にもやさしくできなくなりそうだから・・・
自分自身を信じることができれば、子供を信じることができる。


それがいつも細々でも勉強を続ける理由


勉強する事は、人にやさしくなる事













コロナ疲れの毎日で自分を探す旅

最近は何もやる気が起きない

梅雨の低気圧のせいか、コロナ鬱か、多分もうwithコロナ生活に相当まいっている。

韓国はコロナ初期の俊足な対応が功をなし、1波は抑え込みに成功した。
しかし個人情報の保護などは全く念頭になく、
それはあまりにもコロナ患者を”社会的な死”に追い込んだ残酷な方法でもあった。
けれどおおよその国民はその対応に感謝している。
あの時は人類が、国民が滅亡するかとおもったししょうがない。


引きこもりも自粛も最初のころは楽しかった。
例え新1年生の娘が入学できなくても、絵の具で絵をかかせたり、なわとびやローラースケート、自転車など、時間がなくて、(というか面倒で)いままでみてあげなかった事もあれだけ時間があるとやってみようかという気になるもんである。

 

でも1,2か月もするとそんなの母子ともに飽きる・・。
割といろんな暇つぶしに挑戦したけど、子供が求めてるのは子供同士のコミュニケーションで、それと同じくらいの楽しさを親が提供するとなるとなぜか膨大な金がいる。

ジグソーパズルは8個くらい買った、ボードゲームも5個も買った。
でもまだまだ子供の楽しみを求める貪欲な欲求に追いつかない。
ありがたく頂戴したコロナ特別児童手当3万5千円相当もあっというまに吹っ飛んだ。

勉強も頑張ろうかとおもってドリルもたくさん買ったけど、とっくに母子はつかれてしまった。


最近はもういろいろあきらめて、今年は子供の性格を育てることにした。
って言っても対策はなにかあるわけではないんだけれど、明るい子に育てばなんでもいい。外遊びもしたいだけ、テレビもみたいだけ。子供は毎日楽しそう。

学校はまだ週2回、2時間づつしかないけれど
「学校ある日もない日も毎日幸せ~」って言ってにこにこ笑ってる。
たぶん私は難しく硬く考えすぎていて、子育てのこだわりの大半捨てたら
きっと私もこどもも毎日幸せでいられる。
料理も3食つくるのはあきらめてよくラーメンパーティをしてる

私の楽しみはまだみつからない。

生きる楽しみがないって割と絶望的で、やりたい事もない。
けどそういえば書く事が好きだったな~と思い出した。
最近、作家の辻仁成さんの子育てブログをみているけど、嫌なことも、小さな悩みも
すべてブログに書き残していて、あまり内容はないことがあるけど私の静かな楽しみになっている。
格好つけたりしない人間味がある文章で日々の毎日を綴っている。


そういえばフィリピンにいたとき、ネットもない山奥でひたすらワードに自分自身を打ち込んでいた時、なぜかとても楽しかった。

今日から毎日ブログを書いてみることにした。


たぶんどうでもいいことばかりなのであしからず