れいらさんの日記

海外でゆるく生きてます。つれづれと書いていくだけの日記

私は透明な顔の無いニンニ

毎日心がカラカラです。
たぶん客観的に見たら自分は幸せなほうなのに、幸せを感じるアンテナがなくなったみたい。

世界が暗い。真っ暗。
朝起きて、行きたい場所もないし、会いたい人もいない、家から出たくない。
自分が透明の殻の中で生きているみたいな気がする。

何でだろう。在韓日本人みんなそうなのかな。ってか今は世界中みなそうなのかな。
最近は、誰とも会わな過ぎてみんなの事がわからないや。世界と遠く乖離して生きている。

自分は自由に動けるはずなのに、自分で殻をつくって閉じこもっている。

動物園の動物になった気持ち。まさにミスチル先生が言ってたように

“知らぬままに気づいてた檻の中でもがいてる”。

 

仕事を始めたけど
数か月でギブアップ。やっぱり仕事続けていた方が良かったのかな。

でもコロナで子供の学校が止まったり、オンラインになったり、始まったり、塾が止まったり、もう何もかも管理しきれないので自分が家にいることにした・・・。

うん、小1の壁は大きかった。


旦那は思いのほか稼いでくれてるので、私が“生きがい”とか言い出して、旦那と子供に時間や諸々しわ寄せがいくよりも、私が家に居るほうが合理的な気がして。

主人は仕事があるし、娘も学校があるから、二人とも最低限の人とのコミュニケーションをとれている。
でも私は何故か、コロナという言い訳で人と会うのも、ジムにいくのも学校いくのも自粛してしまう。
少し動き出そうとすると、またロックダウンになって、何度も何度も出足をくじかれていたら、人と会いたくなくなってきてしまった。

大丈夫?わたしは大丈夫なんだろうか?
私は、結婚してからずっと、自分の場所じゃない場所で生きている気がする、

ここは外国で、至極当たり前だけれど、フィリピンの時はまた違う。

合わない人々、合わない仕事、何をやってもどこにいっても行き詰って息ができない。
壁にあたる、手詰まり感。

 

何なんだろう?
手を伸ばせばどこまでも自由なはずのに、いくらでも好きなように生きていけるはずなのに。

ここはわたしには牢獄みたい。

これは何なんだ?


旦那は優しい、いつも私に羽を与えようとしてくれる。

でも飛べとはいわない。
飛べなくて泣いたり、プレッシャーを感じないように、ただ見守ってくれる。

仕事をしろともするなとも言わない、趣味を持てとも持つなとも言わない。
何かやろうとすれば応援してくれる。

お金を使ってもいいから好きなこと見つけてほしいという。

でも、何だろ、子育てであまりにも自分を犠牲にしてきたツケがついに溜まり切ってしまった。心が壊れたのかも。
ずっとやりたいことを我慢したり時間をセーブしてきてるうちに、感情の何かが壊れてしまった。

やりたいことが出てこない。行きたいところも会いたい人もいない。

私は大丈夫なのだろうか?

 

正気を保てているのだろうか?


子育てが原因っていっても、旦那や娘に出かけるなと言われたわけでもない。
そういう子育てをしたいと思ったのは私のやりたい事だったはずなのに。

母親の呪いかな、自分で自分を呪ってる。

自分で自分の首を絞めて、苦しい苦しいと言っている。
自分で首を絞めているのに手を緩める方法がわからない。
いつも”誰か助けて”って心の中で叫んで泣いている。

何故?
頭のねじが外れてしまったのか、それとも多すぎるのか。

とにかく蛇口は壊れていて、もう、一滴の水も出てこない。

喉はカラカラなのに、何も飲みたくない。

 

私は自分をどこに置いてきてしまったのだろうか?

 

自分らしさの塊だったあの頃とは別の人生を生きてるみたい。
私は今、こう生きようと決めてこう生きてるのかな?

それとも誰かにこう生きろとプログラミングされて生きているのかな?

誰に??

子育ては成功している。娘は優しくて真面目ないい子に育った。
私は?

私は自分の何かを削って子育てしたのだろうか?

削るべきじゃなかったのだろうか?
親とは皆そうなのだろうか?
わからないけど、この10年で失った自分の輪郭がもう見えない。

 

ムーミンに出的来たニンニみたい。ニンニは、ムーミンに出くる女の子。
自分を殺して偽っていきてきたら、透明になってしまった女の子。

ニンニはムーミンたちに出会って、自分の心を取り戻していくんだけど、顔だけは戻らなかった。最後にニンニが“強い怒り”を表したした時に、やっと顔が戻る。
ムーミンたちはとても喜んで、もう何処にも行かないでね、とお願いするお話。

私に必要なものは怒りかな。怒れば自分の顔を取り戻せるの?


でも誰に何に怒ればいいの?

 


そもそも怒る元気もない。