ルネデカルト
私はすぐに自分を「いい人」や、「優れた人」「強い人」に見せようとします。
もっと細かく言うと
『真面目な人』や『堅実な人』『純粋な人』『優しい人』『前向きな人』
『賢い人』『粘り強い人』『気配りできる人』
『頑張れる人』『やるといったらやる人』 etc…etc…etc…
たくさん鎧や、仮面があって、相手や状況にあわせて、脱いだり、着たり、仮面を付け替えたりしています。
いつも誰かを意識して生きている。
外国に生きても、世間がなくても
あるがままの自分を出す事は誰もが抵抗があると思いますが
自分がどう感じたかよりも、人にどう思われるかという事は
大事なことなんでしょうか?
たまに自分は、この仮面や鎧をつけることで
自分は何を得たいのか、何を隠したいのか、何を守りたいのか、何と戦っているのか
よくわからなくなります。
ほんとの自分は『今』何を感じたのか。
ほんとはどう行動したかったのか。
その時に、正確な言葉や態度、文章にして伝えなければ、それは感じなかった事、自分は存在しなかった事と同じになってしまう
『I think therefore I am (我思う、故に我あり)』ルネ・デカルト
隠した偽ったら、嘘の自分が自分だと、周りの人にも思われてしまう。
今日もまっすぐまっすぐ生きよう。素直に素直に生きようと思っているけど、とても難しい
『自然体』って言葉あこがれます。
自然体にみせようと、不自然に頑張ってみたり
でも人間は絶対に、在るがままの自分のとき、人を救えたり、人を好きになったり、
胸を打つ文章が書けたり、人の心に届くような笑顔をしてるんだろうと思います。
自分らしく生きると格好いいものではありません。
不器用でも不細工でも格好悪くて良いと、そんな勇気と開き直りがあれば
人生はもっと豊かになる。
見た目の格好良さより、あがいて行く格好良さ。
私に足りないのは、そんながむしゃらさです。
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